バートルビーのウォール街

先日、ハーマン・メルヴィルの『書記バートルビー』(原題は代書人バートルビー ウォール街の物語Bartleby, the Scrivener: A Story of Wall Street )、1853年発表)を読んだ。

近頃一人勝手に英米文学、特に米文学読もうキャンペーンを行っているのでその一環として、『白鯨』もまだ読んでいないくせにこちらの作品を読んでしまったが、それにはごく単純な理由がある。

何と言っても舞台がニューヨーク、ウォール街なのである。この夏行ったあの、である。

 

本作は、主人公の法律事務所に突如訪れたバートルビーという謎の多い男のエピソードが淡々とした文体で綴られるという寓話的な小説なのだが、アガンペンやデリダなどにも注目されたというくらいに、哲学的考察のしがいがある逸品。ひたすらに雇い主である主人公の言いつけを”I would prefer not to(そうしない方がいいと思うのです)”という台詞を繰り返して拒否し続けるバートルビーの姿は来るべき現代主体の空虚さの予感のようでもある、というのが一般的な見方であるようだ。

さて、このバートルビーが現れ消えたウォール街といえば、我々21世紀の人間にとっては9.11同時多発テロのイメージと結びつけることの方が多いのではないだろうか。

そんなことを考えていると、私はこの『書記バートルビー』の舞台が金融の中心、資本主義の顔、ウォール街であったことにある種の必然性を感じずにはいられなくなった。

 

今、テロリズムについて、9.11というカタストロフについて考えたい。ずっとそう思っている。

自主ゼミなどで3.11を語ろうと試みた際にも思ったが、これらはその現象自体についてはもちろん、その歴史化の方法という側面の問題にも後世の私たちは直面しているだろうし、それは複雑、困難を極める。すべてを語ることは不可能だろう。

でも、とりあえず改めて自分がこの夏に経験した、「観光としての9.11」について写真とともに書き留めておきたいと思う。 

 

以下、言葉少なにはなるが、足跡をたどっていきたい。

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地下鉄でFulton Street駅へ。標識に9/11の文字を発見する。

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駅前の様子。高いビルがそびえ立つ。観光客も多い。

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少し西向きに進んだところにトリニティ教会。ここで、バートルビーの奇怪な行動に悩める主人公が散歩するという描写が作中に登場する。うすい墓石に、18世紀のゴシック・リヴァイヴァルの建築。

 

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色鮮やかなWTCイラストが登場。個人的には、どうしてこんなにポップなデザインが選ばれているのか謎だった。

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ビル。ワンワールドトレードセンターという、最近できたもの。ニューヨーク1高い。

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南側。

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この変わった羽のような骨のような白い建物は

ウェストフィールドワールドトレードセンターという、 少し高級なショッピングモール。地下鉄のCortlandt Street駅と一体になっていて、人も多い。

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こちらがツインタワーの跡地。プールになっている。犠牲者の名前が彫られていて、その日誕生日の人のところに赤いバラの花が添えられていた。

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プールの周りに人がびっしり。

カメラに収めて良いものか迷うような厳粛な空気感もややあったが、自撮り棒外国人も多数。日本人はそもそもこの場所にほぼいない。

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寄付。

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おみやげ物が売ってた。なんだろうこの気持ち。

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東側に戻って再びウェストフィールドとご対面。

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ポップなアメコミ風展示が非常に気になる。

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彩られた花壇。

 

本当は博物館もあったけど、家族がどうしても辛いというので行けなかった。

某大学の先生によれば、当時の留守番電話だとか、メモ書きだとか、そうした個人の記憶も多く展示されているとの事だった。そうした部分が言い方は良くないかもしれないけど見どころ、ということか。

第一印象としては、自国に降りかかったテロを物語化して人気の観光地にまでしてしまうアメリカは色んな意味で凄いなぁ、というものだけれどそれだけじゃないだろう。

もうちょっと大惨事の記録、というものについて考えてみたいと思う。忘れること、忘れないこと、拾いきれないこと、不可能なこと、だから歴史化物語化神話化に頼らざるを得ないこと…………

 

リオタールも生かせそうだね。もうちょっと考えよう、ちゃんと勉強しよう。